激動の2010年が終わる
嵐の朝なのだ。思い返せば、2010年は、激動の年であった。
一年前、俺は硫黄島の存在さえ知らなかった。元旦から、子牛の出産があり、居間に子牛が居る新年だった。寒さから子牛を守るため、何時も苦労してたなぁ。何時も強風で、扉の隙間から吹き込んだ雪で、子牛が真っ白になることもあった。
硫黄島の牧場のことを知ったのは、2月27日かな?牛飼いをしながら、休み時間に海に潜るのが夢だったから、手が届かないかも知れないと思いつつ、このチャンスをモノにするために必死にもがいたっけ。
ずっと伸ばしていた髪を切り、島の牧場を見に来たのが、3月11日。施設の古さは驚いたが、本土でこの規模の牧場を買おうと思ったら、億の金が必要だと思い、即決!!
次の問題は、瀬棚の牧場をどうやって整理するかだった。ものすごく苦労したので、一つ一つに思い出があった。
一生懸命力説し、1ヶ月で農場を整理して、硫黄島に行くことを承諾して貰った。
引っ越しも大変だった。
12頭の黒毛和牛、2頭の馬、山羊、黒豚、猫、犬を乗せ、2000kmの長旅だ。たぶん、日本広しと言えども、こんな距離を引っ越しした牧場は無いだろう!動物たちにも大きな負担となり、長年連れ添った猫のイイコ(19歳)とゴンタ(7歳)は、体調を崩して死んでしまった。
勿論、牧場の運営は、もっと大変だった。
3倍規模の飼育頭数に圧倒され、簡素な施設での飼い方は、手厚く世話してきた俺のやり方と対局で、何をするにもいちいち戸惑った。でもね、俺はここでやっていくと決めたのだ。焦っても仕方ないが、徐々に俺のやりやすいやり方に変えていこう。
宮崎の口蹄疫の影響で、市場相場が冷え込んだのも、大きな打撃だった。でも、運営資金が完全に枯渇する前に、なんとか再開してくれた。
いろいろあったけど、俺は今、未来を希望を持って想像することが出来る。これは、これまでと違っている点で、とても嬉しいことだ。何があっても、乗り越えるさ〜!
朝から、大荒れだ。雪が飼槽に吹き込んで、びしゃびしゃになっていた。防風ネットが役に立っており、子牛の敷きワラは無事だった。
二頭の小牛の削蹄をして、出荷牛七頭全部が終わった。この二頭は下痢をしていて、エクテシンを飲ませた。
ローストチキンと和牛のタタキを焼き、黒毛和牛のすきしゃぶの準備をして、牧場で働いてくれている人の家を訪問した。タタキが、一番人気だった。つゆだくのすきしゃぶには、うどんを入れた。ローストチキンも美味しいのだが、他の二品が美味すぎた。
何年ぶりかで、紅白歌合戦をちょっと観た。全然知らない歌手ばかりだった。14人の男のグループなのに、歌っているのは4人だけとか、48人の女の子のグループなんてそこいら辺の女子高生にしか見えなかった。初めて見たというと、どんな生活をしているのかと驚かれた。
来年は、今年以上にいい年になるかな?