12月セリ

 12月競りの日だった。5時半頃起きて、デパ地下で買ってきたパンを食べ、バスに乗るために役場に向かった。
 天気は良いけど、風が冷たい日だった。俺は、競り場では必ず赤いつなぎを着ている。目だって覚えてもらうのが目的だ。
 北海道時代、道南市場は一日に700頭も競るような市場だった。全国から集まった購買者に、俺と俺の牛を覚えてもらうために、俺は一生懸命子牛の胃袋作りに取り組むと共に、髪を長くしてポニーテールにしていた。
「ほれ!あの髪を結んでる男の・・・」
 結果的に、覚えていただいたお客さんには、リピーターとして何度も買ってくださる人が増えて、とてもありがたかった。鹿児島中央市場でも、俺のことを覚えてくれた人が増えたけど、まだ俺の牛を目当てにしてくれている人はいない。もっと良い牛を恒常的に出荷し、それを目当てに来てくれるお客さんを作りたいなぁ!
 
 競りがスタートした。相場は、明らかに先月より高かった。
 俺の牛は、チビだった富士太郎以外は、日増体が1kgを超えていた
 。だから、それなりの値がすると思っていたけど、増体の割に伸びない牛が居た。それは、母親が歳をとっていて、産児数が9さん目とかなると、かなり厳しい評価のようだった。
 逆に、若い牛から生まれた子牛は、意外に伸びて、強志太郎などは50万円いった! 老牛を更新しようという話しになるけど、年取っても子牛を埋める母さんには、長く働いてもらいたいと思うのが、甘ちゃんなのだ。
 出荷すると、経産牛肥育に回されてしまのだ。でも、年老いた牛を長く置いておくと、歩行不能になって、薬殺しなければならないときもあって・・・。いつかは、どこかで決断しなければならない。