忘年会

 朝になっても、目が痛いのは治っていなかった。
 14日に業者さんが来るまでに、支柱を数本は立てておかなければならない。それに伴い、
① コンクリート用の砂利と砂を調達すること。
② 飼槽に穴を空けること。
③ 長すぎる支柱を、サンダーで切断すること
等があった。サンダーの刃は、今日の船で来るはずだったが、俺に当てた荷物は無かった。飼槽の穴は、振動ドリルと大ハンマーとバリで、こつこつ空けていた。砂利は、島に唯一の建設会社にお願いして、200kgほど分けて戴いた。
 一生懸命やっているのに、成果がなかなか上がらない状況は、意外に辛いモノである。
 北海道時代は、本当に死にものぐるいで頑張ったが、それに対する見返りはほとんど期待できず、我ながら良くやっていたモノだ。経済的にはひどい状態だったが、子牛が良く育ったり、母牛の繁殖成績が良かったりしたことが、俺を救っていたのかも知れない。
 切断砥石が無いと、支柱は切れないので、仕方なく一生懸命穴を空けた。
 発情しているフクマルに、種付けをしようとして、困ってしまった。外子宮口が、二つあるのだ。どうすれば良いのだ?ただでさえ通りにくい、未経産牛の頸管なのに、二つあることでさらに通りにくく、つかみ所が無く、俺には通せなかった。
 船で、子牛の餌が届いていた。紙袋30袋を軽トラで運び、500kgふくろはユニックで運んだ。
 
 そういえば、青年団の忘年会だった。久しぶりに、いろんな人と話をした。俺は、仕事を気に入っているけど、島の人と交流しようと思ったら、かなり厳しい仕事だ。基本的に、人と会う時間を取れず、自然と孤立してしまう。和牛農家だけでも、集まれば良いのだけど、一度も集まったこと無いし・・・。何か考えないとダメかな?