硫黄島で時間を約束すると、人々は30分前には集合し、約束の時間には仕事が完了していることが多い。これは、俺のように何とか仕事をやりくりして、ようやく約束の時間に間に合う者には、とても辛い。
 扇風機を付けてくれたトリオ様に、念のために別れの挨拶に行った。牧場に上がってしまうと、いつ降りてこれるか解らないからだ。従業員さんは、おにぎりとおかずを差し入れしていた。仕事が忙しいので、手伝ってくれた人には、大感激するのだ。
 柱松を立てる作業に参加した。八月に立てたばかりなので、みんな動きが良かった。年配者の方が、竹の束を若竹の繊維で縛って柱を作るこつを教えてくれた。若者もそれを真似するのだが、簡単そうで意外に難しい。それでも、積極的にチャレンジするから、作業は早かったと思う。材料の竹は、燃えやすいように、堤防に立てかけて干してあったようだ。いつもより高くそびえ立つ柱松が出来た。明日は、これを燃やして灯りにするのだろうか?それとも、上演後に燃やすのかな?
 一旦牛舎に帰り、作業をしたのだが、黒島からやってくるみしまのエンジン音がしたので、港に向かった。実は、いろんな人といろんな相談事をした。相変わらずの、悩める牛飼いなのだ。
 三人トリオを見送った。うちに馬がいたから出来た縁だけど、とても楽しい出会いで、とてもありがたかった。また来て欲しいなぁ♪ 
 見回りに戻ったけど、大浦の牛たちは、いくら呼んでも集まらなかった。

人工授精師の免許を取りに行っていた9月に、二人でやってやっと仕事が回る牧場を、従業員さん一人に任せていた。結果、従業員さんは過労で体調を崩し、子牛が一頭肺炎になってしまった。
 島民の方々の助けもあり、従業員さんは体調を取り戻したが、一度死んでしまった肺の組織は、元に戻らない。子牛は、ハァハァと苦しそうに息をしながらも、一生懸命に生きようとして、ミルクも頑張って飲み、エサもついばみ、元気付けの糖蜜液も一番にもらいに来るようになった。そして、ガリガリだった体にも丸みが出てきた。
 経済効果は無いが、このまま育ててみようと思っていたのだが、体の成長に肺がついて行かなかったようだ。今朝、息を引き取った。苦しかったけど、よく今まで頑張ったね。