熊本から、電話があった。子供の頃に遊んでくれた従兄弟が、肝臓ガンで亡くなったそうだ。
 俺は、大学に入ってからほとんど家に帰っていないので、最後にあったのは25年以上前だ。いつも寂しかった俺は、従兄弟達にずいぶん救われていた。御世話になったのに、不義理にしているのが心に引っかかっていた。こんなことになって、とても心残りだ。

 いつやったのか判らないが、首を違えてしまった。痛みには鈍感な俺だが、下手に動かすと本当に動けなくなりそうで、首に力を入れて動かないようにした。首の回らないロボットのように、ギクシャクと働いた。これが、仕事の能率を下げるし、意外に疲れる。
 午後から、ベーコンの燻煙をした。寒いので窓を開けたくないのだが、換気扇がぼろく部屋の中は真っ白で煙い。でも、今日は最初から最後までスモーカーに着いていたので、サクラのチップの補給もマメに出来、煙の浸みた良いベーコンが出来たと思う。
 『ブタがいた教室』を観た。
 小学校6年のクラスに、担任が子豚を連れてきて、みんなで育てて食べようという話なのだ。命の大切さと食育を考え、『いただきます。』という心を育てるという方針は良いのだが、手法が稚拙だった。食べると決めていたのなら、そういう接し方も指導するべきだし、決めたとおりに屠畜してみんなで食べるべきだ。だが、映画ではペットのように可愛がり、情を注いで育てている。それを、卒業すると言って食肉センターに送るのは、俺には容認できなかった。あれでは、やっかい払いにしかなっていない。
 この話の元になったのは『命の授業』という本も出ているが、大阪の学校で実際に実践されたことだ。ここでも、俺は食べるなら美味しい時期に屠畜して食べるべきで、自分らは食べずに食肉センターに送るという選択は、子供を必要以上に傷つける最低の教育だったと思っている。ビデオの中で担任が、『最後は殺して、その豚全部丸ごと食べるところまで、自分らで責任を持って飼いたい。』と言っている。本当に、最後まで責任を持って欲しかった。殺すのだったら、一切れでも二切れでも自分たちで食べてほしかった。
 俺も、ローズとピノコという二頭の黒豚を育てていた。生まれてすぐの子豚をもらい、小さい頃は居間で育てた。一頭は食べると決めていたので、子豚の可愛さを感じながらも、情を移さないようにこらえて飼った。それでも、屠畜場に連れて行ったとき、心を揺さぶられた。
 引き取ったお肉は、ハム、ベーコン、ポークステーキ、トンカツ・・・美味しくいただいた。そして、残ったローズは、精一杯可愛がっている。