すごい訪問者 ネット接続不能!

yonemiki2007-01-27

 昨日の助産で寝ぼけた頭のまま、ダラダラ朝飯を食べていたら、意外な訪問者があった。馬に水をやりながら立ち話をしたのだが、ちょっと世間話をしたいという。恥ずかしながら夜中のお産があったので、これから朝牛舎であることを伝えたら、俺の都合の良い時間に合わせてまた来てくれることになった???
 
 幸三郎は、投光器のついた部屋から顔を出し、母牛サチコはそれを舐めていた。寒くは無さそうだ。人工初乳を飲ませた。おそらく、まだ母牛の乳首に吸い付いていないようだった。
 別室の蜜四郎とノゾミが震えていた。敷きワラを厚く敷き、毛布を被せドライヤーで暖める。牛衣の材質が、初生子牛用と違って、濡れたら寒いのかも知れない。2頭とも牛衣と体の間に温風を送られると、幸せそうな顔をして、俺にキスをしてくれた。服の下に、アクリル製の破けた牛衣を着せたら、震えがなくなった。
 山登りしていたとき、服の材質で濡れたときの冷えがまるで違うことは実感していたが、毛皮を着ている牛にもこんなに影響が出るとは驚いた。
 
 約束の時間になった。昼飯を食い、のんびりしている時間帯だ。
 時間通りに来てくださったその方は、山の話し、牧草の話し、雪の話をした後、本題に入られた。
「インターネットで、町長のことを書かずに済ますわけにはいかないのかね?」
とても落ち着いた、穏やかな話しぶりだった。
 俺は、受診動向のグラフを見せながら、これまで町長にしてきた説明や、日本一の公立病院経営研究の学者さんに会って勉強していただいた話し、それがその後の審議会に全く生かされなかった話し、そして現在国の方針と全く逆の方向に、自主財源がほとんど無い状態で突き進もうとしている話しなどを、誠心誠意説明させていただいた。
 その間、その方は時々解釈や相づちを入れながらも、真剣に話しを聞いていただき、診療所が出来るときの楢崎医院と町とのやりとりを、俺が調べたより詳しく教えてくださった。先代が亡くなったとき、町との確執があったようだが、入院病床取りやめ、学校医廃止などがあり、どうしようもなくて診療所が出来たという話しは、俺の認識と違いがなかった。
 受診動向の特性もすぐに理解され、とても優秀で、経営的にも良好な経営だった診療所と、病院というより福祉施設としての性質が強い北桧山国保の違いを理解され、的確なコメントをいただいた。
 その診療所を縮小し、北桧山国保に巨費を投じるのなら、その前に北桧山国保を子どもや若者が受診できる病院にする方法を考えなければダメであり、町長たるもの町民を納得させるだけの説明をする責任があると言うと
「全くその通りだ。それでは、どうすればいいと思うのかい?」

 具体的に2つの案を話した。
 一つ目に関しては、その合理性を理解しつつ、政治的難しさを俺に判りやすく話して下さった。しかし、変な感情を捨て、合理的に考えると、将来的に全町に良い影響を及ぼすことに興味を示して下さった。
 二つ目は、瀬棚区や北桧山区だけでなく、大成区にまで良い医療を提供できるかも知れない案だ。ただし、相手の方がまだその気でいて下さるかどうか?また町長が相手の方を説得できるかどうか?に掛かっている。こちらは、政治的な難しさはないし、即効性があるので、とても興味を持たれたようだった。
 
 いずれにしても、俺は町長バッシングをしたくてやっているのではなく、出来れば平和的に、みんなが安心してくらせる町づくりに応援したいと思っていること。しかし、今の町長のやり方は、全国的に活躍している専門家の意見と反対の方向に進んでいて、そのことに対し納得いく説明がなされていないので、仕方なくやっている事を理解していただけたと思う。
 しかし、こんな若造(俺)の話を、2時間も根気よく聞いて下さり、単なる相づちではなくしっかりした意見を言われたことに、大きな驚きを感じた。高齢化が進む町では、老人が貴重な人材として考えられるような政策こそ大切だ。この方は、70歳以上(?)だが、まだまだとてもよく働いておられる方だ。
「また、近いうちに寄らせていただきます。」
と言って帰られたが、とてもすごい人だと心から思った。
 
 Yahooのモデムが調子悪く、ネット接続できなくて、イライラした夜を過ごす。ちっぽけな俺だな〜と反省。写真は、離乳食を皿から自分で食べるようになったという娘。