超早期母子分離 発情ラッシュ 整体に行った 興奮物質 水俣病

 娘を今金に送った後、朝牛舎をするのが日課だ。今朝は、母乳を飲んだ後、マサコと雅太郎を超早期母子分離した。母親の発情回復を早めるためだ。
 体調の悪い俺のいい加減な世話や観察にも関わらず、ベビーラッシュの走りの連中が次々に発情し、種付けが始めている。お昼頃にも、「不純同姓交友」をしている雰囲気を察知したが、どの牛が発情しているのかは、はっきり認識できなかった。
 
 頭痛の原因が肩こりだと判明したので、昼から整体師さんの所に行った。ちょっと前にぎっくり腰になって以来、2度目だ。一枚岩のように固くなっていた背中が、少し柔らかくなった。
 
 昨日掲載した、医療対策審議会・検討項目について、掲示板で手厳しい意見が出されていた。たしかに、12月答申なら、もっと早い段階で検討項目は提示され、これまで何度もあった審議会で審議されていなければならないことだろう。
 批判だけではなく、有意義な提案や、医師からのアドバイス、また町外の医師からの投稿などがあり、この掲示板をやっていてよかったと思った。他にも、個人的に医師からメールを頂いたり、ブログに中傷コメントが入っていたり・・・。
 しかし、これまで寝食を削ってやって来たことを、キチンと評価して下さる方がいることで、脳から全般的に幸せな興奮物質が出て嬉しかった。
 
 俺は、熊本県八代市で生まれ育った。豊かな干潟がある八代海不知火海)の恩恵を受け、(奨学金をもらうほど)貧乏でも食事に困ったことは無かった。ハマグリ・アサリ・たこ・カニ・赤貝・シャコ・マテガイ・・・。広大な干潟では、たくさんの魚介類が捕れ、魚もよく釣れ、食卓を豊かにした。
 「水俣病」で有名な「日本窒素」は、はじめ工業都市であった八代に工場を設置したかったのだが、八代漁民の根強い反対運動に会い、八代への工場設置を諦めた。
 50km南の小さな漁村、水俣では、強い反対運動は起こらなかった。日本窒素は水俣に工場を建て、大量の有機水銀を含んだヘドロを水俣湾に(八代海の南端)流し続けた。そして、「水俣病」は起こった。
 「日本窒素」は、隠蔽工作や責任逃れの答弁を続けた。小さな漁村であった水俣の住民は、多くがなんらかの形で「日本窒素」の金銭的恩恵を受けていたため、「日本窒素」がおかしいことをしているのではないかと思っても、それを口にすることが出来なかった。自分の体や、家族の体に異常が現れても、黙って耐える人が多かった。東京大学も「日本窒素」の肩を持つような調査結果を発表した。これらのことが、被害を大きくした。
 ところが、熊本大学医学部が、数々の有害物質を含むヘドロの中から、有機水銀が病原物質であることをつきとめ、因果関係を証明した。天下の東京大学に刃向かうことになったわけだが、このことにより、やっと患者救済の道が開けた。
 俺は、八代漁民の根強い反対運動のおかげで、今を生きていられる。八代漁民の反対運動が無く、八代に「日本窒素」が誘致されていれば、水俣病ではなく”八代病”と呼ばれ、水俣より人口の多い八代では、患者数も数倍になっただろう。そして、その中に俺も含まれていた可能性が高い。
 「何かおかしい」と思うことがあったときには、「おかしいのではないか」と声を上げなくてはならない。臭いものに蓋をしてはいけないのだ。キチンと問題の根っ子を探り当て、改善していかなければ、明るい未来はない。