娘と二人きり ガンパル理由?

 今日は、妻は反対側の乳房の乳ガン再々検診のため、札幌に行った。俺は、朝からミルクを作り、おしめを交換して、娘と共に牛舎に出勤だ。大型扇風機の轟音の中、スヤスヤ寝てくれた。暑くなってきて、大汗をかきながら泣き始めたので、扇風機の前に連れて行って体を冷やしてから家に帰り始める。
 乳母車が動いていればご機嫌である。さっさと帰ろうとしたのだが、空気が湿っぽかったので、外に出したままの、干しサイレージおよそ100kgを牛舎にしまった。ココアが情けない声で鳴いていたので、娘を待たせて行ってみたら、いつもどおり複雑怪奇な絡まり方をしていて、解くのに苦労した。 
 
 こんなことを書くと怒られるが、娘は俺と遊ぶのが大好きで、俺がベッドに近づくと大喜びする。黙って通り過ぎると、絶望的な顔をするので、
「ハ〜イ!」
と、毎回ニッコリ顔をして通ることにしてる。泣きそうな顔をしていても、俺と目を合わせてニッコリしてやれば、けっこうご機嫌である。どうにも間が持たなくなったら、必殺飛行機遊びがある。これをやっていれば、どんなに泣いていても、絶対に泣きやむ。
 ミルクも沢山飲めるようになったし、飲んだらよく寝る。昼からテレビをつけたら、甲子園の決勝再試合をやっていた。何となくぼんやり観ていたが(自分のしないスポーツにはあまり興味ない)、映画のDVDを借りていたことを思い出し、1週間ぶりに観た。「クリクリのいた夏」というフランス?映画だ。どうと言うところのない映画だが、後味は悪くなかった。
 気晴らしに、友人宅を回るドライブに出かけた。誰もいなかった。みんな忙しいのだ!
 師匠の畑で、とんでもないモノを見た。無人のトラクターが、大型の芋掘り機を牽引し、4人乗って作業する機械なのに、師匠一家3人しか乗っていない。やばくなると、足の悪い師匠が降りて、トラクターを追いかけ、停止させていた。芋掘りの出面さんは、時期が重なるので確保が難しく、賃金も相当な金額になってしまうらしい。機械を導入したので、本来5人でやる作業なのに、人を頼む余裕がないと笑っておられた。
 車に乗っているのに、不機嫌そうな顔をしたので帰ってみたら、ウンチをしていた。おむつを替えてやろうと寝かすと、綺麗にしてくれることが判って、大喜びのダンスを始めて大変だった。それでも、お尻ナップ2枚で綺麗にすることが出来るようになったのだ。

 娘にテレビを見せてみた。ニュースよりバラエティーの方がよく眠れるようだ。俺もちょっとベッドに横になる。
 沐浴をする時間になった。お湯を入れる音を聞き大はしゃぎし、大好きな沐浴を楽しみにしていることが判る。今日は俺もかなりリラックスして入れてやることが出来、ごきげんだった。風呂上がりに、たっぷりミルクを飲み、防虫ネットをかけた乳母車で牛舎に行った。作業中2時間たっぷり眠ってくれたので、作業に集中できた。
 
 作業が終わったところで妻が帰ってきた。新たなしこりが出来ており、細胞診をしたそうだ。結果は後日。
 
 作業しながら、俺はなんでこんなに医療問題にどっぷりつかってしまったのだろうと考えていた。
 俺は、半月板損傷や、指の切断・脳挫傷・大腿骨骨折・うつ病など、いろいろなケガや病気で何軒もの大病院をハシゴしたりしているが、名医に会うことはとても希だった。
 半月板損傷に気がついてくれたのは、埼玉県の小さな整形外科だった。それまでに、10件以上の大病院をハシゴしているのに、湿布薬と多額の請求書をくれるだけだったのだ。
 右手指を潰したときも、医師の言うとおりにしていたら、俺の親指は爪が無くなり2cm短くなっていたはずだ。爪は絶対に生えないから、まわりの皮を集めて縫い合わせようと言う整形外科の専門医に、俺は
「絶対に俺の爪は生えてくるから、皮をかぶせる手術はしないでくれ!」
と説得し、わずか0.5mmほどの爪のレールを残してもらった。1週間後、盛り上がった肉を再び剥ぎ取り、腕の皮膚を移植した。それから1ヶ月後には爪の伸びに合わせて指が再生し、1年かけてほぼ同じ長さまで指が復活した。その医師は、
「君は、トカゲ並みの再生力だ!」
と言い訳されたが・・・。
 脳挫傷の時は、脳外科医もいて,CTにも影が映っていた。脳に損傷を受けた俺に一番必要だったのは、点滴で腫れあがった脳の脳圧を下げつつ、壊れた部分の神経細胞ネットワークを再構築するために、会話などを積極的に持ち、普通の人としてきちんと扱うことだった。ところが、その病院では、俺をもう治らない人と最初から決めつけて、ベッドにただ縛り付け、強力な安定剤を注射し、眠らせた。
 当時の恋人(たまたま脳の本を渡してあった)の数ヶ月に及ぶ献身的介護で、注射や拘束をやめさせることができなかったら、俺は本当に脳に重い後遺症を残したかもしれない。
   
 専門医と呼ばれる人たちだが、ヤブ医者が多かった。村上医師は、そんな俺の経験の中で、数少ない名医だ。ちょっと口は悪いが・・・。
 俺の仕事は畜産業で、1日たりとも休みが取れない。遠くの病院にかかれないのだ。地元に、信頼して、気楽に行けるかかりつけ医がいることが、どれほど心の支えになっていることか・・・。
 町長の言う1次産業の振興を計るためにも必要なのは、大きな病院ではなく、安心してかかれる診療所を身近に置くことだ。医療対策審議会の資料(資料室の受診動向)を見れば、全世代にわたる患者がまんべんなく利用していたのは瀬棚診療所だけだ。そのような小回りのきく施設を3区に置き、利用率を上げ、赤字の解消をしていくしかないのではないだろうか?
 老人病院化した北檜山国保は、今年の診療報酬改定で、長期入院患者をリハビリして退院させる体制に作り替えなければ、これまで以上に大赤字を出すことになってしまうのだ。(ロイヤルは、そのための対策として老健施設申請をしている)
 
 幸いせたな町は、医療崩壊現場として有名になった分、専門家からも注目を浴びている。町長や行政は、変な意地を張らず、全国的に活躍し実績を上げている専門家の意見をよく聞き、我々町民の命と生活を守る義務があるのではないだろうか?
 もしこれを、変なプライドや意地で拒絶し、本当に破綻するまで追い込まれてから助けを求めても、笑われるだけではないだろうか?その時誰が責任を取れるだろうか?結局、我々町民が責任を取らされて、高い税金を負担し、行政サービスが低下することになるだけだ。 
 
 俺は政治には関心があまりない。俺のささやかな生活を守りたいだけだ。家族を守りたいだけだ。俺はここに住み続けたい。そのために、今やらなければならないと思うことをやっているだけだ。