ラッピングマシンの返却 掃除刈り 洗車 かび臭い切り草

 鬱の調子はいくらかマシだが、あまりはかどらない。クボタM8030が動かせないので、ラッピングマシンが着いたM7950DXをフリーにするために、マシンを返しに行った。つい上がり込んでしまい、いろいろしゃべった。天気が悪く、雑草が良く生えるので、草刈りの出面賃(アルバイト代)で上がったりだそうだ。畑作も楽でないらしい。
 
 Mikiは相変わらず、修正申告で深刻な顔をしてパソコンに向かっている。何がわからないのかな?
  
 家にいても調子が悪くなるので、放牧地の掃除刈りをした。ディスクモアを使ってやったのだが、カバーが外れていたので、生糞のしてある場所を通ると、「運古の雨」が降ってきて大変だった!今度やるときは、カッパを着てやろう。
 トラクターが、運古だらけになったので、洗車した。道にも運古が沢山落ちたので、乳母車のために掃除した。
 
 夜牛舎に行ったが、切り草がない。やっとパンク修理の終わったM8030で切り草を作ったのだが、乾草の中心部がカビており、かび臭い切り草になってしまった。全部捨てて、残り少ない切り草を分けて我慢した。
 
せたな町の僻地医療を考える掲示板」を作ってみたのだが、イマイチ使い方がよくわからない。説明文を読んでいると、発狂しそうになってしまう。とても健康に悪い作業だ。
 
 気晴らしに過去ログをみた。瀬棚区の医療事情について、まとめた方の投稿を見つけた。
「楢崎医院があるのに、税金を投入して診療所を建てたのは間違いであった。」
と、K議員が説明して回っている話を友人から聞いたことがある。
 楢崎医院の先代が頑張って地域医療を全部やっていたのだが、入院受付が出来なくなったので、瀬棚診療所が出来たそうだ。楢崎医院を蔑ろにして診療所が作られたという話は、でっち上げである。


「投稿者:知りたがりっ子 投稿日:2006/7/15 (Sat) 23:30:55 [ 投稿No.2141 ]

・・・丁度、瀬棚区の老人医療が全国1位だった時期は N医院の先代が亡くなった直後に2代目が跡目を引き継ぎ 先代が病院を新築したために残された多額の借金と 入院病床を運営することによって発生した赤字を返済するために 2代目が過剰診療に傾いていった時期と重なっている模様です。
更に、この時期のN医院の外来総患者数は、1日に200人を下らない盛況ぶりであったということも 要因だったと思います。
私は、M医師が、補助金交付金もおりないような一民間病院を 公的機関に勤務する立場で執拗に批難した、この一点だけは、アンフェアーではないかと感じます。(患者の健康を考えない、過剰診療だと非難していたらしい)
N医院の2代目が、過剰診療に傾いていった頃は 正職員のリストラと共に 当時、まだ多くの個人病院が無資格者を採用していたという風潮にならい 同じように無資格者を採用するという無茶な手法を取っていたようですが、M医師に新聞紙上で叩かれ あえなく、有資格者を再登用したという事実があったようです。 
(中略)
また、2代目没後のN医院では、患者の望む通りの(強くて多種類の)薬や注射や点滴などをしなくなったらしいので、K国保に病院を替えたという年配者の方が「あそこに通う意味がなくなってしまったから」と憤慨した口調で話されていました。
私は、薬や注射の過剰摂取や投与は かえって身体に負担がかかるのではないかと思っている方なので、こういう方に因果を含めて説得をこころみても、話しさえ受けつけて貰えない現状に“人の健康っていったい?”と、心にカオスが生じるのも こんな時です。(略)」

 一部わかりにくいところがあると思うが、先代は地域医療に熱心だったが、2代目は借金返済のために過剰診療に突き進み、医療費日本一を築き上げたということだ。
 病院を選ぶのは住民の自由であるが、強い薬は時として害をなす。村上医師は、人間の持つ自然治癒力を助けるような治療を望む住民の健康意識の高まりと共に、支持を広げていったと思う。