Vベルト交換できず 良質の乾草 人は城

yonemiki2006-07-02

 
 今朝はダラダラ過ごした、ゴロウと遊びながら牛舎に行き、クボタM7950DXで切り草を作った。レイとトマトを、広い部屋に移した。ホルダーでミルクをやり、フードボトルでエサを食べやすい状態を付くってやった。広い部屋で、嬉しくて跳ね回っていた。

 ロールベーラーを着けたクボタM8030で草地に行き、フォードに着けたモアコンディショナーのVベルトを交換しようとした。長いバールを持って行かなかったので、さんざん苦労したのだが交換できなかった。
 仕方なく、フォードにテッターを取り付け、先日刈りとった牧草を反転させた。天気はイマイチだが、よく乾燥していた。

 一旦飯を食いに帰り、フォードにレーキを着けて、まず外周2周をレーキした。強風でせっかく集めた牧草を飛ばされて困った。急いで、ロールベーラーでロールをした。よく乾燥が進んでいるので、大量の草を食い込ませても、全然詰まらなかった。
 外周をロールした後は、風向きに合わせてレーキしていった。実はこのレーキは8本腕の機械だが、2本折れていた。今日さらに2本折れて、そろそろ限界を感じている。
 とても良い乾草が、24ロールできた。日が暮れて空気が湿っぽくなっていたが、一旦雨に当たった乾草も、4ロールだけ作った。

 寒さに顔が硬直してしまったので、一旦家に帰り、晩飯を食った。天気予報が変わって、明日雨が降りそうになってきたので、トレーラーでロールを集めに行った。

 久しぶりにコチラセタナ情報局の掲示板を見たら、兵庫の馬庭先生の投稿があった。
 経営努力やボランティア活動などにより、患者数も多く、黒字を出していた診療所の医師だが、合併による平準化でその努力を認めて貰えず、辞職されてしまったのだ。その後、合併した市では、医師の確保ができず、市長が泣き言を言っていた。http://www.kobe-np.co.jp/news_now/news2-539.html
 馬庭先生は、信玄の『人は城』を例に挙げ、同じ給料でも2倍働くスタッフがいる。そういうスタッフのやる気を大切にしなければ、ただ医師や看護師の頭数だけをそろえる行政の姿勢には無理がある。と提言されていた。
抜粋
「恐らくこれまで熟成されてきた瀬棚の医療は,医師を含めたスタッフの知識・技量は診断技術,治療効果において設備を備えた病院の医療効果(患者さんが良くなるという面において)をしのぐでしょう.無駄な検査費,薬剤費は大幅にカットできます.
だから人の知識・やる気・経験が如何なる病院体制や訳の判っていない行政の予算編成に代わるものなのです.大きな建物の建築費,施設拡充費(CT,MRIなど高額設備)はなくともカバーでき費用対効果費は良い方向に向かいます.考えてみてください.何も瀬棚の人の健康を知らない医師がポット北海道に来て,症状から重厚ないろんな検査をするのと,従来からその人の健康を把握しているチームが必要な検査をし,的確な治療をするのと,どちらが費用対効果が優れているのでしょうか.
武田信玄も人は城といっていました.だから,大城郭をつくる費用で人とシステムを育成していたのです.」

 せっかくの提言なのに、町長派を名乗る人たちにひどい暴言を浴びせられていたのが、とても残念でしょうがない。この人たちは、本当に町長派なのだろうか?

 俺も、職場の雰囲気で、人のやる気がまるで違うのを経験したことがある。
 姫たちの学校であった不正事件を事前に発見してしまった俺は、その後居づらくなったのもあってカナダに川下りに行き、帰国後学習塾で働いていたことがある。
 ある進学塾で、幹部が室長をやって、28人しか生徒が集まらなかった教室を任されたことがある。部下として、人間不信の固まりのような女性を与えられた。別な教室で、とても粗末な扱いを受けたらしい。
 俺は理系を担当し、文系はその女性の力を信じて責任を持ってやってもらった。実はすごい能力のある人で、あっと言う間に評判の良い塾になった。アルバイトも沢山雇うことになったが、
「絶対に、生徒の前で自信のない態度は取らないで欲しい。」
「わからないことがあったら、授業の前に何でも俺に聞いてくれ!」
「ちょっとだけ早めに来て、俺たちと生徒の情報交換をして欲しい。」
などと注文をつけた。他の教室と同じ安い時給だったが、プロ意識を持ってやってもらうことで、全員すごくよく勉強してくれ、とても良い講師になってくれた。
 お金を払えない分、毎月1回、焼き肉やしゃぶしゃぶパーティーをして(俺は高給取りだった)、労をねぎらった。おかげで、1年半後には教室のキャパシティーいっぱいの、180人もの生徒が集まる大教室になってしまった。
 ところが、幹部の方には面白くなかったようだ。俺は、落ち目の教室に移動させられた。俺は部下の女性(リストラ対象者だった)を連れて行くことを条件に出したが、会社からは半年以内に100人を越えるという条件を逆に出された。俺たちは、ほとんど不可能と思えたその条件を、何とかクリアした。
 一方俺が大きくした教室は、新しく室長になった幹部の元でどんどん生徒数を減らし、そのあおりを食って俺の部下の女性が、女性だという理由で、その講師としての能力や、教室運営アシスタント能力を全く無視して、突然リストラされた。
 俺は、相当粘って会社にかけあったのだが、退職金の上乗せをさせるしかやってやれなかった。教室の運営は、情熱がなければやれない仕事だ。人を大切にしない会社に未来は無い。俺は失望し、辞表を提出した。
 1年後、俺が育てた教室が閉鎖され、2年後には会社が潰れた。
 俺たちの町は、人を大切にしているだろうか?頑張った人を評価しているだろうか?町の功労者を追い出し、いまだに石を投げてつばを吐きかけていないか?そんなことをしていたら、町の発展は望めない!

 村上医師が、7年間かけて作り上げてきた瀬棚診療所は、とてもやり甲斐のある職場だったのだろう。だから、吉岡医師を始め、たくさんのコメディカルスタッフが、相場より安い給与で集まったのだ。
 合併の時に、医師や看護師の頭数だけを数えて、瀬棚が贅沢のような言われ方をしていたが、そういう論理はナンセンスだ。やる気と、実際にもらっている給与と、能力を総合的に査定しなければ、何の意味もない。
 村上医師のやって来た地域総括ケアは、大成区北檜山区の住民にとっても、ぜひ取り入れるべき素晴らしいものだった。だが、いきなり頭数を揃えたからといって、実現できるものではない。お金ではなく、手間をかけなければ出来ないものだからだ。

 吉岡医師が、とりあえず残ってくれたおかげで、瀬棚区ではその地域包括ケア継続が可能になった。(一人体制では、かなり無理があるし、老健施設には待ったがかかっている) 大成区北檜山区の人たちは、自分たちの地区の医療に満足しているのだろうか?
 「せたなの医療を考える会」という名であるが、どうしてもよく知っている診療所の存続問題が中心になっているので、他区の人にとっては、他人事のように思えるのだろう。
 「北檜山区の医療を考える会」や、「大成区の医療を考える会」を作って、もっとよりよい医療を一緒に考えたらどうだろう?