早起き 広報せたな 新保育所長(改訂版) 議員さんと話す 

 今朝は早起きして、牛の発情を見に行った。先日流産したフクが、粘液を出して、陰部を赤く腫らしていたからだ。でも、とても平和に寝ていた。
 娘が来たら、夜中に一度起きてミルクをやった後、もう一度寝なおして、今度はミルクを欲しがる前に起きて、朝牛舎をしなければならない。少し練習しておかなければならないと思い、朝飯前にちょっと作業をしてきた。
 おかげで、午前中に糞出しまで全部終えることができ、時間にかなり余裕ができた。仕事が早く済むと、気持ちが楽になる。
 
 久しぶりに町の食堂に、飯を食いにいった。ゴールデンウィークらしく、観光客が沢山いた。
 
 俺はこれまで、広報せたなに目を通すことは、あまり無かった。町の政策に興味が無く、いわゆる「丸投げ」をしていたのだ。
 しかし、今回の村上医師辞職・医療問題などを通して、自分の町の行政に対し、町民として責任を持たなければならないと思った。
 そういう目で見てみると、情報満載の広報であることがよくわかった。
 
 いろいろある中で、地区懇談会が、北桧山区では4回で集まった人は合計80人。大成区では2回で合計45人しか出席していない。瀬棚区では1回しか開かれていないのに200人も集まっている。
 他の地区に比べ、圧倒的に参加者が多く、関心が高いのに、1回しか開かれていないのはなぜだろう?
 広報には、さまざまな意見交換が行われたが今後の町政推進に反映したいと、最後に町長が挨拶したと書かれていた。
 俺には、意見交換というよりは、町長が変わった途端、劇的に低下した町の行政サービス(特に診療所の問題)に住民の不安と不満が集まり、まともな質問をぶつける住民に対し、町長は、何一つ具体的な答えを出せないでいるだけに見えた。最後の方では、信頼できない嘘の行政をこれ以上やるな!という怒りの声すら、住民からあがっていた。
 これだけ強い住民の思いは、果たして町長に伝わったのだろうか?町政に反映されているだろうか?
 町長の公約に、「医療の充実」と大きく唱ってあったが(北桧山国保を主幹とするという公約は、選挙前にはそれほど大きくは言っていなかったと思うのだが、今ではそれが一番になっている。)、瀬棚区では確実に医療は衰退している
 後任の医師の確保は出来ていない。
 北桧山国保からの応援を定期的によこし、吉岡医師を支援する体制をつくるから・・・と言っていたのに、吉岡医師には休日の当直翌日も休めない過重な負担を強いたまま、週1回半日だけの代診しか用意していない。
 吉田眼科は、瀬棚区で再開との新聞発表を裏切って、やはり北桧山に持って行かれることになりそうだ。
 
 役場の組織機構図を見て気になったのは、保育所の運営と子育て支援策の立案実行の核だった児童保育科が無くなったことだ。
 以前は、児童保育科が瀬棚保育所内に設置されていて、保育所運営と一体化した子育て支援政策が実行されていた。町長は子育て支援の充実を掲げていたのに、瀬棚区の先進的な子育て支援を後退させるような機構改悪をおこなった。
 瀬棚保育所の所長が異動になって、元建設水道課長補佐だったK氏が本庁勤務の町民児童課参事となり、保育所長を兼務していることだ。
 畑違いの仕事で、保育所長だけでも責任が重く、覚えることが多いだろうに、なぜ瀬棚保育所の所長だけが兼務で本庁勤務になっているのだろうか
 保育所の所長が保育所の実態を十分理解するためには、いつも保育所にいて、内情をよく理解していなければならないはずだ。所長が本庁へ出かけている間に、重大な事件でもあったら、どうするのだろう。
 
 瀬棚保育所は、0歳児保育もやっており、糖尿病の幼児も預かっていて、3区の中で最も多人数で年齢層も幅広い。評判もとても良い。町長の平準化政策で他地区の保育所では、瀬棚に合わせて保育時間が延び、サービスが良くなったという話も聞く。
 瀬棚保育所には、働く母さんや、保育に苦労している親を、どうすれば支援していけるだろうか、どうすれば保育の質が向上するか、現場の保育師が主体的に考えて体制作りをするという伝統がある。今までの所長さん達は、現場にいてよく勉強し、保育師と協力しながら自分自身も動くことで、その伝統を守ってきた。
 我が家も、きっとお世話になると思うのだが、新保育所長には、せっかく作り上げられた瀬棚保育所ならではの素晴らしい経営を理解してもらい、引き継いでいってもらいたいと思う。
 
 議員さんに会い、これからのせたなの未来について話をした。議員さん一人で町を良くできるわけはない。俺は一町民として、これからは町政に目を向けていこうと思う。