取材 心の支え 禁酒(涙) 

 最近、新聞やテレビの取材を受けて、ビックリしている。
 農業を始めるときに、みんなに覚えてもらうために、髪の毛を伸ばし始めた。牛を売りに市場に行くようになってからも、この髪のおかげですぐに覚えてもらい、今金や長万部の牛飼いの人からも覚えられ、声をかけてもらったり、いろいろ教えてもらって役立っている。(手入れは面倒だが・・・)
 取材に来るのも、この髪のおかげで目立ったせいか?それとも実は俺がいい男だからか?(バカです!)


 牛の世話をしているところを、カメラで追いかけられたのだが、けっこう照れくさい!しかも、牛舎が汚いので、放送されたらいい恥さらしだ!
(糞出しは、誓い通りほぼ毎日やってるのだが・・・)


 俺にとって、村上医師が心の支えだったことは事実だ。こちらに引っ越してきて間もなく、妻が咳の止まらない病気になって、この地域ではまともな方であるという評判の病院を訪ねたとき
「気管支拡張剤の入っている薬は、使わないでください。」 
とお願いしたのに、気管支拡張剤の沢山入った薬を2種類も含んだ処方箋を出され、大変な目にあったことがある。その時、医療僻地に来たことの怖さを思い知らされた。

 ちょうど同じ頃、村上医師が瀬棚に赴任し、僕らも何度かお世話になる内、とても信頼できる医師だと感じた。わざわざ遠くの医者にかかる必要がなくなって、我が家の事情も良く理解した上で、治療方針を立ててくれるので、とても有り難かった。
 過労で倒れた妻を支えていたときも、村上先生の存在は俺の中で大きな安心材料で、だからこそ仕事が忙しいときでも、一人で頑張って来れた。


 俺が体調を崩したのは、牛舎を建設したり、子牛が下痢の手当をしたりしなが、妻を支えていたとき、村上医師の辞職の話が出て、俺の中で心の支えになっていた柱が崩れ落ちたからだ。


 合併後の町長選挙で、高橋候補が俺の家を訪ねてくれたとき
「派閥にとらわれない町政をしてください。」
「瀬棚診療所と、村上所長は、絶対に守ってください!」
とお願いしたところ、
「任せてください!」
とニッコリ笑ってお答え下さったので、安心して投票したのだ。

 村上所長が辞任した今、そんなことを掘り返してもしょうがない。これから出来ることを考えなければ!
 それは、半年間残ってくださることになった吉岡医師が、ずっと瀬棚に残ってもいい思えるような医療環境を、町長に整えてもらうことだ
 村上医師も、ある町から誘いがあったのに、そこに行くと身動きが取れなくなるのでやめたそうだ。
 越後湯沢に行かれたのは、自分が行けばそこで人員にゆとりが出来るので、町民の意識が高まり、吉岡医師に支援が必要になったとき、代わりの医師をせたなに派遣出来ると考えられたからだ。まだせたなを見捨てたわけではないのだ!

 自治医大が推奨する域医療の推薦先に、瀬棚診療所がトップに上がっている話はしたと思うが、文部科学省がそのプログラムに4000万円ほど助成することになった。
 今後の町長の決断次第では、タダで意欲にあふれる医師が確保でき、上手くローテーション組むことができれば、瀬棚診療所だけでなく、北檜山や大成の医療も格段に向上するはずである。
 これは、利権に関係ない全せたな町民にとって、損のない話だと思うのだが・・・。


 妻が出産間近なのに高熱を出し、いつでも八雲に搬送出来るよう、俺は禁酒させられている!
 ビーフジャーキーやブルーチーズを囓りながら、ほうじ茶を飲んでいる。